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社会的学習理論

 


人の学習については、

多くの心理学者や教育学者が研究を積み重ね、その結果を発表しています。

その中でも有名な学習理論の一つが、バンデューラの社会的学習理論。

 

 

社会的学習理論は、

他の学習理論に大きな影響を与えた理論で、

ソーシャルスキルトレーニング(Social Skill Training:SST)の

ベース理論の一つにもなっています。

 

 

 

【バンデューラの社会的学習理論】

 

社会的学習とは、特定の分化に所属する人が、

他人の影響を受けて、

所属する文化で適切な態度、習慣、価値観、行動などを身につけていくこと。

 

社会的学習理論とは、

社会的学習について、直接の体験だけでなく、

むしろ、他人の行動を意識的に観察し、

マネすること(モデリング)で成立すると説明する理論。

 

 

 

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カナダの心理学者アルバート・バンデューラが提唱した理論。

 

社会的学習理論が登場するまでの学習理論では、

学習する人の行動に対して、

外から何らかの刺激が加わること(学習する人が直接経験すること)で

学習が成立すると考えられていました。

 

つまり、何かを学習したい場合、

その人が実際に経験して行動しないと学習できないと考えられていたのです。

 

しかし、社会的学習理論では、学習する人が直接経験せず、

他人を観察してマネすること(モデリング)でも

学習が成立することに着目しました。

 

例えば、子供にコップを形や色、

大きさで分ける課題にチャレンジさせる時に、

最初から子供にさせるより、

パパママが先にやるのを見せてからさせた方が

学習がはかどることが多いものです。

 

この例では、

子供はパパママをモデルとして行動を観察し、マ

ネをして、分け方を身につけると考えます。

 

また、モデルの対象は人だけでなく、

映画、マンガ、アニメの登場人物などでも成立すると説明しています。

 

 

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【社会学習理論におけるモデリング】

 

モデリングとは、他人の行動を観察してマネすることで、

行動パターンの学習を目指すことです。

 

モデリングによって、新しい行動を正確に身につけたり、

適切な行動を促したり、不適切な行動を抑制したりすることができます。

 

モデリングは、大きく4つの過程に分類することができます。


•注意


•保持


•運動再生


•動機付け

 

 

 

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モデリングの過程:注意

 

注意とは、モデルにする対象とその特徴に注目して見る過程。

モデルとなる対象は、

パパママやきょうだいといった身近で親和している人や、

尊敬したり親和したりしている人の他、

テレビに登場する有名人や漫画・アニメのキャラクターなども含まれています。

 

モデルから受ける刺激と、観察する側の子供の特性の両方が影響します。

 

 

モデリングの過程:保持

 

保持とは、観察したモデルを記憶として脳に保持する過程です。

モデルにする対象の特徴や行動を抽象化して言語化、

イメージ化することで脳内にインプットして保持します。

また、保持の過程においては、脳内でモデルの行動を

何度もマネすることが効果的だと考えられています。

 


 

モデリングの過程:運動再生

 

運動再生とは、保持した記憶を行動として再生し、行動を修正する過程です。

運動再生の過程を経ることで、

脳内に保持されているモデルの行動(イメージ)と、

自分の行動(現実)のギャップに気づくことができます。

 

そして、イメージと現実のギャップを認識し、

現実の行動に修正を加えることで、

モデリングの精度を上げることができます。

 

 

モデリングの過程:動機づけ

 

動機づけとは、

学習した行動を実践するための動機づけを行う(モチベーションを高める)過程。

動機づけには、自分自身で動機づけを行う自己強化、

モデルから受ける代理強化、周囲からもたらされる外的強化があります。

 

 

 

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バンデューラの社会的学習理論の基礎とモデリング

社会的学習理論は、

教育現場などを中心に様々な分野に影響を及ぼしている理論。

 

 

 

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【バンデューラの実験】

 

子供たちを実験群と対照群の2つのグループに分け、

実験群の子供たちには、おもちゃの部屋で

1人の大人が風船のように膨らませた「ボボ人形」に乱暴しているのを見せる。

 

対照群の子供たちには普通に大人が遊んでいるのを見せる。

 

その後各グループの子供たちを1人ずつおもちゃの部屋の中に入れ、

その様子をフィルムで撮影する。

 

 

結果、

実験群の子供たちは対照群の子供たちに比べて目に見えて攻撃的だった。

この実験からこどもは明らかな強化を与えなくても

モデルの行動を自発的に模倣することが分かった。

 

 

 

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◆アルバート・バンデューラ(Albert Bandura 1925~ )

自己効力感や社会的学習理論で知られるカナダ人心理学者。

カナダのブリティッシュコロンビア大学を卒業後、

1952年、アイオワ大学にて博士号を取得。

アメリカのスタンフォード大学の心理学教授を長く務め、

1974年には、アメリカ心理学会会長も務めた。

 

 

1950年代後半、当時優勢であった行動主義学習理論の中で、

社会的学習理論(モデリングによる学習)を提唱したことでも知られる。

 

従来の学習理論が、学習する個体(人間や動物)自身の経験を前提としていたのに対し、

学習が他の個体の行動を観察することによっても成り立つことを実証し、

新たな理論づけを行った。

1990年代に提唱された自己効力感についての理論は心理学にとどまらず、

教育学や社会学にも大きな影響を与えた。

 

 

 

 

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特性論

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特性論 概要

 

私たちの行動を観察すると、中にはその場限りの行動もあるが、


種々の状況において一貫して現れる行動もある。

種々の状況を通じて一貫して現れる一定の行動傾向を特性(trait)という。


特性論は、特性を人格の構成単位とみなし、


いくつかの特性の組み合わせによって人格を記述し理解しようとする方法で、

主としてイギリスやアメリカで発達した理論である。

 

特性論は類型論より歴史も浅く、


そのほとんどが20世紀になって誕生したものである。

 


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 【オールポートの特性論】

アメリカの心理学者であるオールポートは、

性格特性は精神・身体的概念であり、

その特性は「個人の内にある」と主張。

 

オールポートは、辞典(ウェブスター)の中から、

「親切な」「社交的」などの、性格特性に関することばを数多く選び出し、

形容詞的な用語を、実際的な特性を表現する語群(Ⅰ群)、

一時的な状態(態度)を表現する語群(Ⅱ群)、

評価(価値判断)を表現する語群(Ⅲ群)、

その他(Ⅳ群)の4群に分け、第Ⅰ群を中心に特性の分析を行った。

 

オールポートは、多くの人々に共通する共通特性と、

ある個人に特徴的な独自の特性を区別し、

さらに共通特性を表出的特性と態度的特性に分類している。 ま

た、特性の基礎をなす心理・生理的要因(身体、知能、気質)を加え、

個人の性格を表示する心誌(psychograph)を作成している。

 

※ゴードン・オールポート(Gordon Willard Allport, 1897- 1967)
アメリカ合衆国の心理学者。

 

 

オールポート (Allport, G. W.)


成熟した人格の基準として


1. 自我の拡張
2. 他人に対する暖かい関係
3. 情緒の安定
4. 現実認知と技能
5. 自己客観化
6. 人生観の確立


の6つをあげ、人間として達成すべき努力目標とした。

 

人間関係と健康なパーソナリティ(個性)


 「パー ソナリティとは、

人間に特徴的な行動と考えとを決定する精神身体的体系の力動的組織」とする

ゴードン・オールポート(アメリカの心理学者)の定義である。

さらに「性格、気質、興味、態度、価値観などを含む、

個人の統合体である」。ゴードン・オールポートは

健康なパーソナリティの規準として、次の6つを 挙げている。

 

1)  自己意識の拡大。自己自身だけに集中的に向けられていた関心が、
家族・異性・趣味・政治・宗教・仕事へと広がり、これにどれだけ積極的に参加し、
自己をどれだけ拡大してゆくか。
他人の幸福を自分の幸福と同一視できるほど重要視し、拡大視できるか。

2) 他人との暖かい人間関係の確立。家族や友人に対して、
どれほど深い愛情を伴う親密さと、全ての人の人間的状態に敬意を払い理解するという、
共感性を持つことができるか。

3) 情緒的安定。欲求不満の状況でもそれを受容するとともに、
これをどれほど適切冷静に処理し、安定した精神状態を保つことができるか。

4) 現実的知覚、技能および課題。
歪曲されない正確な現実認識と、真実性への認知の構えをどれほどもっているか。
基本的知的能力だけでは不十分で、むしろ高い知的能力をもちながら、
情緒的均衡を欠くために、健康なパーソナリティとなれない人も多数存在する。

5) 自己客観化、洞察とユーモア。自分自身とは何か、
自分自身が持っているものは何か、
他人は自分が何を持っていると思っているのか、といったことを
客観的に知り、洞察しているか。
この洞察とユーモア感覚は強く関連している。

6) 人生を統一する人生哲学。
人生をいかに生きてゆくか、という目標への指向性をどれほど明確にもっているか。
人生に統一を与えてくれる哲学、すなわち価値への指向をどれだけもっているか。


 


【著書】

『人格の形成―人格心理学のための基礎的考察』
『個人とその宗教』

 他

 

 

 


 

【ギルフォードの特性論】

アメリカの心理学者であるギルフォードは、

共同研究者マーチン(H.G.Martin)とともに因子分析的手法により、

「STDCR因子目録」「GAMIN因子目録」および

「ギルフォード=マーチン人事人格目録」の3種の性格目録(personality inventory)を作成している。

この3つの検査において、性格特性として次の13因子が測定される。

因子分解によって13の特性を抽象

 

抑うつ性 

回帰性傾向 

劣等感 

神経質 

客観性の欠如 

協調性の欠如 

愛想の悪さ 

一般的活動性 

のんきさ 

思考的外向性 

支配性 

社会的外向性 

男性(女性)度

 

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S因子:社会的外向―内向

T因子:思考的外向―内向

D因子:抑うつ性

C因子:回帰性傾向

R因子:のんきさ

G因子:一般的活動性

A因子:社会的場面における支配性

M因子:社会的場面における支配性

I因子:劣等感

N因子:神経質

O因子:客観性

Ag因子:愛想のよさ

Co因子:協調性

 

このギルフォードの人格目録は、

日本でも矢田部らにより標準化され、

おのおの12項目からなる13尺度が作成されている。

 一方、辻岡は、矢田部が標準化した性格検査を

各10項目からなる12の尺度にあらため標準化し、

「矢田部=ギルフォード性格検査」を作成している。

 


※ジョイ・ギルフォード(1897 - 1987)
アメリカ合衆国の心理学者。

因子分析法を用いて知能の研究を行う。
人間の知能は内容4種類、操作5種類、
所産6種類の計120種類からなるという説を唱えた。

 

 

 


【アイゼンクの特性論】

イギリスのアイゼンクは、性格研究に実験的方法を導入し、

因子分析法による性格特性の分析を行っている。

アイゼンクの理論は、類型論と統計学的手法との組み合わせによる特性論である。

 従来の因子分析はよって抽出された因子は、

それがどのような意味を持っているかが不明な場合も少なくなかった。

 

そこで、アイゼンクは、従来の因子分析の手法とは多少異なる

クライテリオン分析という方法を通じ、性格の基本的次元を決定しようと試みている。

この分析は、抽出しようとする因子が前もって決められているが、

この因子は、外向性―内向性というように両極性を持ったものであり、

実験的検討に際しては、被験者もこの両極の2群が対象とされる。

 

アイゼンクの特性の理論の特徴は、

ほかの特性論と異なり、特性のレベルよりも

さらに抽象化された類型(type)の次元を設定していることである。

 

そして、アイゼンクによれば、

性格の構造は、類型―特性―習慣的反応―個別(特定)反応の4つの階層構造をなしてるという。

神経症傾向と精神異常の区別に始まったアイゼンクの研究は、

その後、健常者及び神経症患者への研究へと発展し、

その中からふたつの基本的因子が抽出されている。 こ

の2つの因子が、内向性―外向性の因子、そして神経症的傾向の因子であり、

わが国で今日使用されているMPI(Maudsley Personality Inventory)の基礎となっている。

 

さらにアイゼンクは、種々の生理心理学的実験から得られた資料をもとに、

このような内向性―外向性及び神経症的傾向の背景には、

脳幹網様体及び大脳辺縁系の活動の個体差、

すなわち、生物学的基礎の差異が関連していると主張している。

 


※ハンス・アイゼンク(1916年3月4日 - 1997年9月4日)
ドイツの心理学者。ドイツ・ベルリン生まれ。

不適切な学習によって神経症が引き起こされると考えた。
行動療法によって治療しようと試みた。
パーソナリティ研究の分野で活躍した。
1975年にアイゼンク性格検査を考案した。
精神分析の実証性について痛烈な批判を行ったことで知られる。

 

 


著書

『心理学の効用と限界』
『人格の構造 その生物学的基礎』
『心理療法の効果』
『知能の構造と測定』

 他

 

 

 

 

 


【参考文献】

加藤義明 中里至正編著 1989 『入門人格心理学』 八千代出版

 

 

 

 

リンゲルマン効果(Ringelmann effect)


◆リンゲルマン効果(Ringelmann effect)

ドイツの心理学者リンゲルマン( Maximilien Ringelmann (1861~1931) )は、

1913年、ストレインゲージ(圧力計)に取り付けたロープを引っ張る実験で、

2人で引っ張った場合は期待値の93%、

3人では85%、8人では49%の力しか発揮していないことを発見した。

大勢になるほど、個人は怠ける(loaf)ようになる。

これは社会的手抜き効果("social loafing").、

ぶらさがり現象、ただ乗り現象などとも言われる。


企業合併の記者会見で、

経営者は、"シナジー効果(相乗効果)を発揮して" などと言うことがある。

この、シナジー効果(synergy effect)の逆を、

リンゲルマン効果という。

 

 

リカレント教育

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リカレント教育


スウェーデンの経済学者であるレーンが初めに提唱し、

1970年代に経済協力開発機構(OECD)で取り上げられ、

国際的に知られるようになった生涯教育構想。

義務教育や基礎教育を終えて労働に従事する職業人になってからも、

個人が必要とすれば教育機関に戻って学ぶことができる教育システムを指します。

 


リカレント(recurrent)は、

反復、循環、回帰を意味する言葉であり、

日本では回帰教育や循環教育と訳されることもあります。

急速に変化する社会に適応していくためには、

教育は人生の初期だけで終わりではなく、

生涯にわたり続けていくことが重要であり、

必要に応じて個人が就労と交互に行うことが望ましいと提言しています。

 

 

【欧米】


近年世界的に注目を集めているリカレント教育ですが、

実際の取り組み状況は各国によって異なります。

特に欧米と日本では、社会的慣行の影響もあり、状況の差異は大きくなっています。

 

欧米は、本来のリカレント教育の概念に近い取り組みが進んでいます。

もともと欧米の労働市場は流動性が高く、

キャリアアップのために社会人になってから

教育機関で学習するシステムを取り入れやすい状況にありました。

 

欧米のリカレント教育は、仕事をし始めてからも、

学習機会が必要となった場合は、

比較的長期間にわたって正規の学生として就学することを推奨しています。

個人の職業技術や知識を向上するために、

フルタイムの就学とフルタイムの就労を交互に繰り返すことができます。

 

リカレント教育の取り組みの具体例としては、ス

ウェーデン、フランス、イタリア、ベルギーなどの有給教育制度、

アメリカのコミュニティカレッジなどが挙げられます。

 


【日本】


一方日本では、高度経済成長期を経て社会的に長期雇用の慣行があるため、

社会人になってから教育機関にもう一度戻って学習するというというシステムは

馴染みにくい状況となっています。

仕事に必要な技術や知識は、キャリアを中断して外部で学ぶのではなく、

就職した企業内で習得していくのが通例です。

 

日本においても、転職でのキャリアアップを目指す人が増加するなど働き方が多様化しており、

キャリアアップに必要なスキルを身につける方法として

リカレント教育が注目されています。

 

しかし、本来のリカレント教育の概念のように正

規の学生としてキャリアを中断して就学することは難しい現状があります。

そのため、日本ではリカレント教育の概念が諸外国よりも広義に解釈されており、

企業で働きながら学んだり、仕事でなく生きがいのために学んだり、

学校以外の場で学んだりする場合も含む言葉として使われています。

 

日本におけるリカレント教育の取り組みの具体例としては、

大学の社会人入学制度、社会人特別選抜制度、科目等履修生制度、

夜間部・昼夜開講制度、通信教育、公開講座、専門職大学院、

サテライトキャンパスなどが挙げられます。

 

高等学校や専門学校、高等専門学校でも、

公開講座という形でリカレント教育の取り組みを行なっている学校もあります。

 


◆長期雇用が慣行となっている日本でも、

近年はリカレント教育の重要性が認知され始めています。

 

背景としては、転職でのキャリアアップや女性の社会進出の増加によって、

職業技術や知識を外部の教育機関で学習したいというニーズが出てきたことが考えられます。

 

男性中心の長期雇用が前提であれば、

企業内教育のみに依存していても、

働いていく中で自然と仕事上必要な知識や技術が身についていきました。

 

しかし、転職を前提とし、短期間で企業を変えていったり、

女性が産休育休を挟んでキャリアを積んでいったりするのであれば、

企業内教育で継続的に仕事上必要な技術や知識を身につけることは難しくなります。

自分のキャリアパスに合わせて、自ら学習機会を作ることが求められます。

 


◆このように企業内教育の穴を埋め、学習ニーズを満たすシステムとして、

リカレント教育は注目されています。

ただ、実際に日本でリカレント教育を実践していくためには

多くの課題を解決する必要があります。

 

例えば、日本におけるリカレント教育に関する公的な補助や支援制度、

関係機関の連携は未発達な部分が多い上に情報も少なく、

労働を中断して教育に参加することが難しい現状があります。

 

欧米のような有給教育制度がある企業は、

日本ではまだ多くはありません。

 

リカレント教育の機会が得られたとしても、

教育費用が増大した場合の行政からの支援や給付金が少なく、

学習者の負担が大きくなるリスクも懸念されます。

そして、社会人が受講できる教育機関や生涯学習関連機関、

カリキュラムも未だ不十分と言えます。

 

キャリアアップとしてリカレント教育のシステムを活用することは、

日本の一般的な社会人にとってはハードルが高い状況となっています。

現在、文部科学省や地方自治体では、

生涯学習審議会や生涯学習センターなどを設置し、

「生涯学習社会」の実現に向けて動いている流れがあります。

 

今後社会人が学びやすい環境が整備されていくのか注目されます。

 

 


◆リカレント教育とは、1970年代から国際的に知られるようになった生涯教育構想である。

急速に変化する社会に適応するために、

義務教育が終わり社会に出てからも、個人が就学と就労を交互に行いながら、

仕事に必要な知識や技術を学び続けることが望ましいと提唱している。

 

•労働市場が流動的な欧米では、リカレント教育の取り組みは進展している。

リカレント教育の本来の意味通り、

個人が仕事に必要な知識や技術を取得するために、

フルタイムの就学とフルタイムの就労を繰り返すことができる環境が整備されつつある。


•一方日本では、働き方が多様化する中でリカレント教育の有用性は認知されつつあるものの、

長期雇用の慣行があるため、環境の整備は未熟である。現

状は、働きながら学んだり、生きがいのために学んだりできる社会人大学院や通信教育が、

学習活動の場として活発に活用されている。

 

 

 

 

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PM理論|三隅二不二

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PM理論

 

 

日本の社会心理学者の三隅二不二氏が1966年に提唱した、

リーダーシップ論。

 

 

「目標達成行動-目標を達成するP(Performance function)機能」と

「集団維持行動-人間関係に配慮し,

集団を維持しようとするM(Maintenance function)機能」の

2つの能力要素により、リーダーシップは構成されているという理論。

 

この2つの能力の大小により、4つの型に分類。

P機能が大きい場合は、大文字のP、

小さい場合は小文字にp、

同様にM機能が大きい場合は、大文字のM、

小さい場合は小文字にmと記すことで、

PM型、Pm型、pM型、pm型と表記。

 

P機能、M機能、いずれも優れているPM型を、

理想のリーダー像と位置付けたこの理論は、

組織が戦略を練るための、人事的な分析材料として用いられている。


 


◆三隅 二不二(みすみ じゅうじ/じふじ、(1924~2002)は、日本の心理学者。

専攻は社会心理学。文学博士。

 

クルト・レヴィンによって創始されたグループ・ダイナミックス(集団力学)を日本に紹介し、

その普及と発展に力を注いだ。

リーダーシップを

パフォーマンスとメンテナンスの2つの機能の複合として捉える

PM理論で世界的に知られる。

 

 

 

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◆クルト・レヴィン

Kurt Lewin クルト・レヴィン(1890~1947) 

クルト・レヴィン(Kurt Zadek Lewin, (1890~1947)

心理学者。社会心理学者 。

ドイツのモギルノ(Mogilno) (現在はポーランド領) 生まれでユダヤ系。

「ツァイガルニク効果」の研究や「境界人」の概念の提唱で知られる。

 

 

 

【概要】

ゲシュタルト心理学を社会心理学に応用し、トポロジー心理学を提唱した。

ベルリン大学の哲学と心理学の教授を務めていたが、

ナチスの政権掌握で、ユダヤ人の学者は大学から追放された。

海外に出ていた彼は、1933年8月にアメリカに亡命し、

1940年にアメリカの市民権を取得した。

 

コーネル大学教授

マサチューセッツ工科大学(MIT)にグループダイナミクス(集団力学)研究所を創設。

 

「社会心理学の父」と呼ばれ、

アイオワ大学の博士課程でレオン・フェスティンガーなどを指導した。

リーダーシップスタイル(専制型、民主型、放任型)と

その影響の研究、集団での意思決定の研究、

場の理論や変革マネジメントの「解凍―変化―再凍結」モデルの考案、

「アクションリサーチ」という研究方式、

グループダイナミクスによる訓練方法(特にTグループ)など、

その業績は多方面にわたる。

 

 


 

 

 

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研究を通して得た結論:概念

 

 ◆「P」機能:「目標達成機能」(Performance)

 ◆「M」機能:「集団維持機能」(Maintenance)

 

「pm」「Pm」「pM」「PM」と4つのタイプが示されています。

双方が小文字の「pm」は、P機能、M機能ともに「弱い」ことを意味します。


逆にふたつが大文字の「PM」とは、目標達成への意識高く、

チームをまとめようとする意識も強く、

実際に、そうした行動をとっているリーダーのタイプを意味します。


 

 

 

 

◆PM理論は父性と母性の論ともいえる

リーダーシップの科学の本画像「集団におけるリーダーシップとは、

集団の目標達成や課題解決を促進し、集団に胚胎する崩壊への傾向を抑制して、

集団の維持を強化する集団機能を代表するものである。

一方、集団の側から考えれば、

集団が困難に遭遇してその脱出にあえいでいればいるほど、

その困難を克服してくれる父親のように強力で

頼りがいのあるリーダーの出現を求める。

 

また、集団が内部葛藤・対立に疲労困ぱいして、

崩壊への危機をはらんでいるときには、

母親のように許容的であり寛容で、理解と支持を示し、

すべてを受容してくれるリーダーシップを求めるであろう」

 

「リーダーシップの科学」 三隅二不二/著  講談社

 

 

 


P機能は、「成果」や「目標」を達成するための厳しい「父性」であり、

M機能は、チームをまとめるための「優しさ」「包容力」など「母性」です。

父性と母性の関連することから、

Pを「パパ」のP、Mを「ママ」のMとし、

PM理論は、「パパ・ママ理論」と呼ばれることもあります。

 

 

父なる厳しさ(父性)で成果をあげて、

母なる優しさ(母性)でチームをまとめる優れたリーダーは

「PM型」であるというのが、三隅氏のPM理論。

 

 

実は複雑であり、実際には、父性と母性だけを意識しても、

リーダーシップが強化されるとは限りません。

その他の様々な資質がリーダーシップには求められます。

 

 

 

 

 

 

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公認心理師法は、

平成27年9月9日に議員立法により成立し、9月16日に公布され、

平成29年9月15日に施行されました。

 

 

【公認心理師】

公認心理師とは、公認心理師登録簿への登録を受け、

公認心理師の名称を用いて、保健医療、福祉、教育その他の分野において、

心理学に関する専門的知識及び技術をもって、

次に掲げる行為を行うことを業とする者をいいます。


(1)心理に関する支援を要する者の心理状態の観察、その結果の分析

(2)心理に関する支援を要する者に対する、

   その心理に関する相談及び助言、指導その他の援助

(3)心理に関する支援を要する者の関係者に対する相談及び助言、

   指導その他の援助

(4)心の健康に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供

 

 


公認心理師法概要


【目的】

公認心理師の資格を定めて、その業務の適正を図り、

もって国民の心の健康の保持増進に寄与することを目的とする。

 


【定義】

「公認心理師」とは、公認心理師登録簿への登録を受け、

公認心理師の名称を用いて、

保健医療、福祉、教育その他の分野において、

心理学に関する専門的知識及び技術をもって、

次に掲げる行為を行うことを業とする者をいう。

① 心理に関する支援を要する者の心理状態の観察、その結果の分析

② 心理に関する支援を要する者に対する、

  その心理に関する相談及び助言、指導その他の援助

③ 心理に関する支援を要する者の関係者に対する相談及び助言、

  指導その他の援助

④ 心の健康に関する知識の普及を図るための教育及び情報の提供

 

 

 

【国家試験】

公認心理師として必要な知識及び技能について、

主務大臣が公認心理師試験を実施する。

受験資格は、以下の者に付与する。

 

 

① 大学において主務大臣指定の心理学等に関する科目を修め、

  かつ、大学院において主務大臣指定の心理学等の科目を修めて

  その課程を修了した者等

② 大学で主務大臣指定の心理学等に関する科目を修め、

  卒業後一定期間の実務経験を積んだ者等

③ 主務大臣が①及び②に掲げる者と同等以上の

  知識及び技能を有すると認めた者

 

 

 

【義務】

1 信用失墜行為の禁止

2 秘密保持義務(違反者には罰則)

3 公認心理師は、業務を行うに当たっては、

  医師、教員その他の関係者との連携を保たねばならず、

  心理に関する支援を要する者に当該支援に係る主治医があるときは、

  その指示を受けなければならない。

 

 

 

【主務大臣】

文部科学大臣及び厚生労働大臣

 

 

 

【経過措置】

既存の心理職資格者等に係る受験資格等について、

所要の経過措置を設ける。

 

 


☆第1回公認心理師 国家試験は、平成30年9月9日に実施予定。

 

 

 

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【公認心理師】(こうにんしんりし)とは、

公認心理師法を根拠とする日本の心理職国家資格である。

 


【心理職の国家資格】

名称独占資格として規定される(第44条第1項)とともに、

資格創設(全面施行)以降、

公認心理師の有資格者以外は、

「心理師」という文字の使用禁止が規定された(第44条第2項)。

 

 


◆公認心理師は、現行の「臨床心理士」と同様、

教育、医療・保健、福祉、司法・矯正、労働・産業、学術・研究など、

多岐にわたる活動領域を想定しており、

特定の分野に限定されない「汎用性」「領域横断性」を特長とする

心理職国家資格を旨とするものである。

そのため、文部科学省と厚生労働省による共管とされ、

主務大臣は文部科学大臣と厚生労働大臣と規定されている。

 

 


◆公認心理師が行う心理的行為としては、

「心理検査」「カウンセリング」「心理療法」といった

「心理的支援」や「コンサルテーション」、「心理教育」等を想定して、

「一、心理に関する支援を要する者の心理状態の観察・分析」

「二、心理に関する支援を要する者との心理相談による助言・指導」

「三、心理に関する支援を要する者の関係者との心理相談による助言・指導」

「四、メンタルヘルスの知識普及のための教育・情報提供」の

4種が掲げられている(第2条)。


 

 

この点は現行の臨床心理士の専門業務

(①「臨床心理査定」②「臨床心理面接」③「臨床心理学的地域援助」

④「①~③に関する調査・研究」)を鑑み、規定された。

但し、公認心理師は臨床心理士にとって変わるものではなく、

臨床心理士の資格は今後も残り、

公認心理師と共存していくものと考えられている。

 

 

 

 

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ピグマリオン効果 (ぴぐまりおんこうか) *教育心理学

 

ピグマリオン効果とは、

人の成長は周囲の評価や扱い方に影響を受けるとし、

「周囲がプラスの印象を抱くと、

実際にプラスの方向へと結果が現れる」という、

教育心理学分野における法則。


 

ピグマリオン効果は、アメリカの教育心理学者 

R.ローゼンソール(Rosenthal)が、

1964年に行った実験で実証された。

 

 

彼は、ある小学校で、

「ハーバード式突発性学習能力予測テスト」と名付けたテストを実施。

テストの内容は、実際にはごく一般的な知能テストだが、

教師には今後の成績の向上を予測できる特殊なテストであると伝え、

テストを受けた生徒の中からランダムに抽出し、

学級担任に「この生徒は今後成績が伸びる」と伝えた。

 

そこで選ばれた生徒とその他の生徒の成績の伸びを比較したところ、

選ばれた生徒の方がより高い伸び率を示した。

 

 

この実験によって、

「人は周囲から期待をされると、期待をされない場合よりもより成果を出す」

最終的に成績が向上したという論文をまとめ、

これを「ピグマリオン効果(Pygmalion Effect)」と名付けた。


※「期待」と「成績アップ」には因果関係がある。

 


 

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☆ピグマリオンとは、

ギリシャ神話にでてくるキプロスの王で彫刻の名人に由来。

 

彼は自分の理想とするすばらしい女性の像を彫り、

あまりの美しさにうっとりしてその彫像に恋をしてしまった。

「ああ、これが血の通った人間であったら・・・」と、

くる日もくる日も思い続けた。

 

愛の女神アフロディーテはこれを哀れに思い、

神通力で彫刻に命を与え、人間にした。

そして2人は結婚し子供までもうけた。

 

そこで「人が心から願うこと期待することがよい結果を生む」として、

ピグマリオン効果と名づけたのが由来。

 

 


ギリシャ神話の伝説から、

強く信じ続けて行えば、

願いは必ずその通りになるというもの。

 

 

何事も現状を否定的に決め付けず、

常に自分の理想とする姿に自信を持って進み続ければ、

やがて予想もしなかったような良い結果が得られ、

理想は現実のものとなる。

 

 

ローゼンソール効果、教師期待効果とも言う。

 

 

願い続ければ、それは現実になるエネルギーを持つようになる。

 

そしてそれはやがて真実になる!

 

(「強く信じ続けることは現実化する」ということを意味)

 

 

 

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★ピグマリオン効果とは正反対の意味を持つのがゴーレム効果。

 

周囲が誤ってマイナスの印象を抱くと、

実際にマイナスの方向へ結果が現れるという現象。


例えば上述のテストの例とは逆に、

教師が生徒と接する際に、

この生徒は成績の良くない生徒だと思いながら,

期待度の低い状態で接すると、

その期待通りにその生徒の成績が下がることがある。

 

 

「ゴーレム」とはユダヤの伝説にある意思のない泥人形のことで、

ゴーレムを作った主人の命令だけを

忠実に実行する存在であることに由来。


 

 

ピグマリオン効果もゴーレム効果も、

ビジネスの世界においても同様のことが起きます。

例えば、上司から期待されている部下とそうでない部下とでは、

期待をされている部下の方がより良い結果を出している例がある。

 

上司は期待している部下に対し、

コミュニケーションを密にとるため、

その際、直接ノウハウを伝授されたり、

叱咤激励されることで、部下のモチベーションが高まるため。

 

会社で上司の立場にある方は部下を信頼する、

また部下の立場にある方は上司の期待に応え、努力をすることも重要。

 

そうすることでより良い組織づくりが可能となるでしょう。


※ 注) うつ状態の方への叱咤激励や過度な期待は禁忌。

 

 

 

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◆ R.ローゼンソール(Rosenthal)1933 ~

 

米国の心理学者。元・ハーバード大学教授。

1956年カルフォルニア大学で臨床心理の学位を取得。

'57〜62年ノース・ダゴタ大学を経て、

ハーバード大学に移り臨床心理学の講師を務める。

対人行動及びコミュニケーションが研究領域で、

特に日常生活においても観察される実験者効果に関する一連の研究が有名。

生徒の学習成績が教師の抱く期待に影響を及ぼすという、

ピグマリオン効果を共同研究で明らかにしたことで知られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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モラトリアム(精神分析学) moratorium

 

 

モラトリアム(精神分析学) moratorium

 

E.H.エリクソンの提案した精神分析学の用語。

青年期にはそれまで親の保護の下の一定のルールの中から抜け出し、

未来の可能性の中から自分の進路を選択していかなければならない。

 

職業や結婚など人生のかなり永続的な選択をすることを猶予され、

自分の生き方を模索試行し、大人への準備をする期間を、モラトリアムという。

 

本来は戦争や災害などの緊急時に、

銀行などの金融機関が預金の支払いを猶予することをさすが、

エリクソンが、

青年は社会への参加を一時的に免除または猶予されていることを表す用語として使った。

 

青年は、職業や結婚などの社会人としての義務や社会的責任を猶予され、

その間に様々な役割を担うことを通じて、自らの可能性を試し、

社会の特定の分野に自分に適した生き方を探し出す。

 

このような青年の自己探求のための期間を、

エリクソンは心理・社会的モラトリアムと呼んだ。

 

これに対して精神分析学者の小此木啓吾は、

人生の選択をさけて、

いつまでも猶予状態にひたりつづける青年を、

モラトリアム人間(moratorium personality)と呼び、

自己選択ができない現代青年の未熟さを分析した。

その背景には,社会の変化が加速度的であり、

アイデンティティを見つけきれないという現実があるといわれる。

 

 

 

 

 

【参考文献】

「モラトリアム人間の時代」 小此木啓吾/著  中公文庫

 

 

 


 

エリザベス・キューブラー=ロスが、

『死ぬ瞬間』の中で発表したもの。

 

以下のように纏められている。

※すべての患者がこのような経過をたどるわけではないとも書いている。


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『死ぬ瞬間』までの経過


  1969年、今からおよそ18年前、

当時43才だったキューブラー・ロス女史は

『死ぬ瞬間』を発表する。

 

この本はノン・フィクションとしてはかつてない売れゆきを示すが、

彼女が本当に有名になるのはそのあとである。

 

同年11月21日付けの雑誌『ライフ』に、

彼女と死を間近かに控えた患者との記事が取り上げられた時からである。

この雑誌はたちまちのうちに売り切れになった。

しかしこのなかで取り上げられた病院側の教授や指導医師達は、

この記事をみて怒り狂ったのである。  

 

 「我々は何年もかかって、この病院がガン治療に優れていることを知らせようと頑張ってきた。

それなのにこの女(ロス女史)がやって来て、

死んで行く患者で我々を有名にしようとしているのだ!」

 


  この時以来、彼女は病院中の除け者になり、

彼女がやっているセミナーも、大部分が空席になったという。

まさに彼女は孤立無援の境地に立たされたわけである。

しかし、しばらくして素晴らしい贈物が彼女を待ち構えていた。

 

『ライフ』社に彼女宛の数多くの末期患者からの感謝の手紙が届けられ、

その中には医科大学や教会からの講義やセミナーの依頼もあったのである。

  それから2年後の昭和46年

『死ぬ瞬間』が日本語に翻訳された。

 

昭和62年現在までで20万部以上が売れている。

この本は、彼女が200人の末期患者と面接し、

彼らの心理状態を、直接患者と接している医師の教育の一環としてまとめあげたものである。


   死は5つの心の変化を経ていく。 

 

この本の中で、末期患者であると知らされた患者は、

死を受け入れ、死に至るまで、5つの段階を経るといっている。




〈第1段階〉否認と隔離


予期しない衝撃的なニュースをきかされたとき、

そのショックをまともに受けないために、まず否認がおこる。


〈第2段階〉怒り

死という現実を認めざるえなくなると、

次に怒りや恨みがこれに取って代わるようになる。

「なぜ俺だけこんな目に会わなくてはならないのだ!」


この怒りが八つ当りとなって看護婦に向けられ、

そのためまわりの人間はよけいに患者を避けるようになる。


〈第3段階〉取引


次に人は神や仏に対して、

自分がどうしたら延命できるか取引し始める。

例えば「もう財産はいりませんから命だけを与えてください」云々。



〈第4段階〉抑うつ


以上の段階をへて、それらが無駄であることを知って患者はうつ状態におちいる。

病気が進行し、衰弱が進んで、無力感が深刻となる。

それとともに、この世との別れを覚悟するために、

他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験しなければならない。



〈第5段階〉受容


次は患者は、来たるべき自分の終えんを静かに見つめることのできる受容の段階に入る。

「長い旅の前の最後の休息」のときが来たかのようである。

このときの静かな境地をデカセクシス」と呼ぶ。



 

  以上がロス女史が提案した

「死への心理の5段階」である。

 

すべての人が、この5段階をたどって、死を迎えるわけではない。

ある段階にとどまってしまう人。

ある段階を飛び越える人。

錯綜する人も多い。

しかし一般に死が近づくと、無意識に死を悟るものだといわれている。

 

人は死を成長の機会とし、

静かに尊厳なる死を迎えるための心構えが必要である。

このようにロス女史は希望している。


  「尊厳なる死とは、その人らしく死ぬということであり、

我々回りの人間の鋳型にはめこまないことである」。

彼女が『死ぬ瞬間』でインタビューした200人あまりの人は、

「平和と尊厳」のうちに死んだという。

 



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臨死体験の謎


  臨死体験をすると、魂は肉体を抜け出て、トンネルのなかに吸い込まれ、

その向うに大きな光を見るとい う、数多くの記録が残されている。

 

ロス女史も、患者の口から、

直にこうした体験を何度も聞き、またこうした体験が、

臨死患者に大きな精神の変化をもたらしているのを眼の当りにしてきたのである。


  彼女の死後のプロセスの研究によると、

第1段階は、精神が肉体から離れ、浮遊していく段階。

自分が寝ている姿を上ら見ることができ、

他人の気持やどうしてこの世にとどまれないかを理解出来るようになるという。


  第2段階では、夢のなかに居るようで、

人はどんなに離れているところでも、

一瞬にして行くことができるという。

 

アメリカで死んでも、東京の両親のことを考えると、

その瞬間に東京に飛んで行ける。

 

そしてこの再会のあとに、人間ではコントロールできない領域に入って行く。

 

  第3段階は何かむこうからの移行を意味する光を見るという。

それは操作できない霊的なエネルギーで、

この光を見たものは至福の境地を味わうという。

 


  第4段階は生との繁りが失われ、

愛や慈悲の気持に包まれてしまうという。

 

ここで初めて人間が一人一人完全のまま、

必要な知識を備えて生れてくることを認識する。

 

自分の人生とは、生きている間の各瞬間に、

自分が下してきた一つ一つの選択の総和であることが、ここで気づくのである。

 


 


※彼女の講演

「死・成長の最終ステージ」は、『宇宙意識の接近』(春秋社)のなかに収録されています。

 

 

 

 【エリザベス・キューブラー=ロス】

(独:Elisabeth Kübler-Ross、1926- 2004)

アメリカ合衆国の精神科医。

死と死ぬことについて関する書『死ぬ瞬間』(1969年)の著者として知られる。

 

著書において、彼女は初めて今日では「死の受容のプロセス」と呼ばれている

「キューブラー=ロスモデル」を提唱している。

まさに死の間際にある患者とのかかわりや悲哀(Grief)の考察や

悲哀の仕事(Grief work)についての先駆的な業績で知られる。

 

 

 

 

 

 

 

宮沢賢治の世界☆

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セロ弾きのゴーシュ

 


ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾くかかりでした。

けれどもあんまりじょうずでないという評判でした。

じょうずでないどころではなくじつはなかまの楽手の中ではいちばんへたでしたから、

いつでも楽長にいじめられるのでした。

 

ひるすぎみんなは楽屋にまるくならんで、

こんどの町の音楽会へ出す第六交響曲の練習をしていました。

トランペットはいっしょうけんめい歌っています。


クラリネットもボーボーとそれにてつだっています。

バイオリンも二いろ風のように鳴っています。

ゴーシュも口をりんとむすんで、目をさらのようにして楽譜を見つめながら、

もう一心に弾いています。

 

にわかに、ぱたっと楽長が両手を鳴らしました。

みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。

楽長がどなりました。




「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」

みんなは今のところの少し前のところからやりなおしました。


ゴーシュは顔をまっ赤にして、

ひたいにあせを出しながら、やっと今言われたところをとおりました。

ほっと安心しながら、つづけてひいていますと、

楽長がまた手をぱっとうちました。

「セロっ。糸が合わない。こまるなあ。

ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはないんだがなあ。」


みんなはきのどくそうにして、わざとじぶんの譜をのぞきこんだり、

じぶんの楽器をはじいてみたりしています。

ゴーシュはあわてて糸を直しました。

これはじつはゴーシュもわるいのですが、

セロもずいぶんわるいのでした。


「今の前の小節から。はいっ。」

みんなはまたはじめました。

ゴーシュも口をまげていっしょうけんめいです。

そしてこんどはかなりすすみました。




いいあんばいだと思っていると、楽長がおどすような形をして、

またぱたっと手をうちました。

またかとゴーシュはどきっとしました。

が、ありがたいことにはこんどはべつの人でした。

ゴーシュはそこで、さっき自分の時みんながしたように、

わざとじぶんの譜へ目を近づけて何か考えるふりをしていました。


「ではすぐ今のつぎ。はいっ。」

そらと思ってひきだしたかと思うと、

いきなり楽長があしをどんとふんで、どなりだしました。

「だめだ。まるでなっていない。このへんは曲の心臓なんだ。

それがこんながさがさしたことで。

しょくん。演奏までもうあと十日しかないんだよ。


音楽を専門にやっている僕らが、

あの金靴鍛冶だの砂糖屋のでっちなんかのよりあつまりに負けてしまったら、

いったいわれわれの面目はどうなるんだ。


おいゴーシュ君。きみにはこまるんだがなあ。

表情と言うことがまるで出来ていない。


おこるもよろこぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。

それにどうしてもぴたっとほかの楽器と合わないもんなあ。


いつでもきみだけ、とけたくつのひもを引きずって、

みんなのあとをついて歩くようなんだ。



こまるよ、しっかりしてくれないとねえ。

光輝あるわが金星音楽団が、

きみひとりのためにあくひょうをとるようなことでは、

みんなへもまったく気の毒だからな。

ではきょうは練習はここまで、やすんで六時かっきりボックスへ入ってくれたまえ。」


みんなおじぎをして、それからたばこをくわえてマッチをすったり、

どこかへ出ていったりしました。



ゴーシュは、そのそまつな箱みたいなセロをかかえて、

かべの方へ向いて口を曲げてぼろぼろなみだをこぼしましたが、

気をとりなおして、じぶんだけたったひとり、

いまやったところをはじめからしずかに、

もいちどひきはじめました。
 
 
 





そのばんおそく、ゴーシュは何か大きな黒いものをしょって、

じぶんの家へ帰ってきました。

家といっても、それは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋で、

ゴーシュはそこにたったひとりですんでいて、

午前は小屋のまわりの小さな畑で、

トマトのえだを切ったりキャベジの虫をひろったりして、

ひるすぎになるといつも出ていっていたのです。

ゴーシュがうちへ入ってさっきの黒い包みをあけました。

それはなんでもない、あの夕方のごつごつしたセロでした。

ゴーシュはそれをゆかの上にそっとおくと、

いりなりたなからコップをとって、

バケツの水をごくごくのみました。



それから、頭を一つふっていすへかけると、

まるでとらみたいないきおいで、ひるの譜をひき始めました。

譜をめくりながら、ひいては考え考えてはひき、

しまいまでいくと、またはじめからなんべんもなんべんも、

ごうごうごうごうひきつづけました。



夜中もとうにすぎて、しまいは、

もうじぶんがひいているのかもわからないようになって、

顔もまっ赤になり、目もまるで血ばしって、

とてもものすごい顔つきになり、

今にもたおれるかと思うように見えました。 


 
 
そのとき、だれかうしろの扉をとんとんたたくものがありました。




「ホーシュ君か。」

ゴーシュはねぼけたようにさけびました。

ところがすうと扉をおして入ってきたのは、

いままで5、6ぺん見たことのある大きな三毛ねこでした。




ゴーシュの畑からとった、

はんぶんじゅくしたトマトをさも重そうに持ってきて、

ゴーシュの前におろしていいました。

「ああくたびれた。なかなか運ぱんはひどいやな。」

「なんだと。」

ゴーシュがききました。



「これおみやげです。食べて下さい。」

三毛ねこが言いました。

ゴーシュはひるからのむしゃくしゃを一ぺんにどなりつけました。


「だれがきさまにトマトなど持ってこいといった。

だいいちおれがきさまらの持ってきたものなど食うか。

それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。

なんだ。赤くもならないやつをむしって。

今までもトマトのくきをかじったり、

けちらしたりしたのはおまえだろう。いってしまえ。ねこめ。」




するとねこは、かたをまるくして目をすぼめてはいましたが、

口のあたりでにやにやわらっていいました。

「先生、そうおおこりになっちゃ、おからだにさわります。

それより、シューマンのトロメライをひいてごらんなさい。聞いてあげますから。」

「なまいきなことをいうな。ねこのくせに。」

セロひきはしゃくにさわって、このねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。




「いえごえんりょはありません。

どうぞ。わたしはどうも先生の音楽を聞かないとねむられないんです。」

「なまいきだ。なまいきだ。なまいきだ。」

ゴーシュはすっかりまっ赤になって、

ひるま楽長のしたように足ぶみしてどなりましたが、

にわかに気をかえていいました。




「ではひくよ」



ゴーシュはなんと思ったか扉にかぎをかって、

まどもみんなしめてしまい、

それからセロをとりだしてあかりをけしました。

すると外からはつかすぎの月のひかりがへやの中へはんぶんほどはいってきました。

「なにをひけと」

「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」

ねこは口をふいてすましていいました。




「そうか。トロメライというのはこういうのか。」

セロひきはなんと思ったか、まずハンケチをひきさいて、

じぶんの耳のあなへぎっしりつめました。



それから、まるであらしのようないきおいで

「インドのとらがり」という譜をひきはじめました。

するとねこはしばらく首を曲げて聞いていましたが、

いきなりパチパチパチッと目をしたかと思うと、ぱっと扉の方へとびのきました。

そして、いきなりどんと扉へからだをぶっつけましたが、

扉は開きませんでした。

ねこは、さぁこれはもう一生一代のしっぱいをしたというふうにあわてだして、

目やひたいからパチパチ火花を出しました。



するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから、

ねこはくすぐったがって、しばらくくしゃみをするような顔をして、

それからまた、さぁこうしてはいられないぞというように、

はせあるきだしました。




ゴーシュはすっかりおもしろくなって、

ますますいきおいいよくやりだしました。

「先生。もうたくさんです。たくさんですよ。

ご生ですからやめて下さい。

これからはもう先生のタクトなんかとりませんから。

「だまれ。これからとらをつかまえるところだ。」



ねこはくるしがって、はねあがってまわったり、

かべにからだをくっつけたりしましたが、

かべについたあとは、しばらく青くひかるのでした。

しまいはねこはまるで風車のようにぐるぐるぐるぐるゴーシュを回りました。

ゴーシュも少しぐるぐるしてきましたので、

「さあこれでゆるしてやるぞ。」といいながらようようやめました。




するとねこもけろりとして、

「先生、今夜の演奏はどうかしてますね」といいました。




セロひきはまたぐっとしゃくにさわりましたが、

なにげないふうで巻タバコを1本だして口にくわえ、それからマッチを一本とって、

「どうだい。ぐあいをわるくしないかい。舌を出してごらん。」


ねこはばかにしたようにとがった長い舌をペロリと出しました。

「ははあ、すこしあれたね。」


セロひきはいいながら、

いきなりマッチを舌でシュッとすってじぶんのタバコへつけました。



さあねこはおどろいたのなんの、

舌を風車のようにふりまわしながら、入口の扉へ行って、

頭でどんとぶっつかってはよろよろとして、またもどってきて、

どんとぶっつかってはよろよろ、またもどってきて、

またぶっつかってはよろよろにげみちをこさえようとしました。



ゴーシュはしばらくおもしろそうに見ていましたが、

「出してやるよ、もう来るなよ。ばか。」


セロひきは扉をあけて、

ねこが風のようにかやの中を走っていくのを見て、

ちょっとわらいました。

それから、やっとせいせいしたというようにぐっすりねむりました。
 
 

 

 

 


つぎのばんも、ゴーシュがまた黒いセロのつつみをかついで帰ってきました。

そして水をごくごくのむと、ゆうべのとおりぐんぐんセロをひきはじめました。

十二時はまもなくすぎ、一時もすぎ、二時もすぎてもゴーシュはまだやめませんでした。

それからもう何時だかもわからず、

ひいているかもわからずごうごうやっていますと、

だれか屋根うらをこつこつとたたくものがあります。

「ねこ、まだこりないのか。」

ゴーシュがさけびますと、いきなりてんじょうのあなからぽろんと音がして、

一びきの灰いろの鳥がおりてきまして、

ゆかへとまったのを見ると、それはかっこうでした。




「鳥までくるなんて。なんの用だ。」

ゴーシュがいいました。

「音楽を教わりたいのです。」

かっこう烏はすましていいました。


 

ゴーシュはわらって、

「音楽だと。おまえの歌は、かくこう、かくこうというだけじゃあないか」


するとかっこうがたいへんまじめに、

「ええ、それなんです。けれどもむずかしいですからねぇ。」といいました。

「むずかしいもんか。おまえたちのは、

たくさん鳴くのがひどいだけで、鳴きようはなんでもないじゃないか。」



「ところが、それがひどいんです。

たとえば、かっこうとこう鳴くのと、かっこう、とこう鳴くのとでは、

聞いていてもよほどちがうでしょう。」

「ちがわないね。」

「ではあなたにはわからないんです。

わたしたちのなかまなら、かっこう と一万いえば一万みんなちがうんです。」


「かってだよ。そんなにわかってるなら、

なにもおれの所へ来なくてもいいではないか。」

「ところがわたしはドレミファをせいかくにやりたいんです。」

「ドレミファもくそもあるか。」

「ええ、外国へ行く前にぜひ一度いるんです。」

「外国もくそもあるか。」

「先生、どうかドレミファを教えてください。わたしはついて歌いますから」



「うるさいなあ。そら三べんだけひいてやるから、すんだらさっさと帰るんだぞ。」

ゴーシュは、セロをとりあげてボロンボロンと糸を合わせて、

ドレミファソラシドとひきました。

するとかっこうはあわてて羽をばたばたしました。

「ちがいます、ちがいます。そんなんでないんです。」



「うるさいなあ。ではおまえやってごらん。」

「こうですよ。」

かっこうはからだを前にまげてしばらくかまえてから

「かっこう。」と一つ鳴きました。

「なんだい。それがドミファかい。おまえたちには、

それではドレミファも第六交響曲も同じなんだな。」



「それはちがいます。」

「どうちがうんだ。」

「むずかしいのは、これをたくさんつづけたのがあるんです。」

「つまりこうだろう。」

 

 



セロひきはまたセロをとって、

かっこう かっこう かっこう かっこうとつづけてひきました。

するとかっこうはたいへんよろこんで、とちゆうから、

かっこう かっこう かっこう かっこうとついてさけびました。

それももういっしょうけんめいからだをまげて、

いつまでもさけぶのです。




ゴーシュはそろそろ手がいたくなって、

「こら、いいかげんにしないか。」といいながらやめました。



するとかっこうはざんねんそうに目をつりあげて、

まだしばらく鳴いていましたがやっと、

「かっこう かくう かっ かっ かっ かっ か。」

といってやめました。

ゴーシュがすっかりおこってしまって、

「こら、とり、もう用がすんだら帰れ。」といいました。




「どうかもう一ぺんひいてください。

あなたのはいいようだけれども、すこしちがうんです。」

「なんだと、おれがきさまに教わってるんではないんだぞ。婦らんか。」

「どうか、たったもう一ぺんおねがいです。どうか。」

かっこうは頭をなんべんもてんてんさげました。

「ではこれっきりだよ。」

 

 



ゴーシュは弓をかまえました。かっこうは、

「くっ。」と一ついきをして

「ではなるべく長くおねがいいたします。」といって、

また一つおじぎをしました。




「いやになっちまうなぁ。」

ゴーシュはにがわらいしながらひきはじめました。

するとかっこうはまたまるで本気になって、

「かっこう かっこう かっこう。」

とからだをまげて、じつにいっしょうけんめいさけびました。




ゴーシュははじめはむしゃくしゃしていましたが、

いつまでもつづけてひいているうちに、ふっと、

なんだかこれは鳥のほうが、

ほんとうのドレミファにはまっているかなという気がしてきました。

どうもひけばひくほど、

かっこうのほうがいいような気がするのでした。




「えいこんなばかなことしていたら、おれは鳥になってしまうんじゃないか。」




とゴーシュはいきなりぴたりとセロをやめました。


すると、かっこうはどしんと頭をたたかれたようにふらふらっとして、

それからまたさっきのように、

「かっこう かっこう かっこう かっ かっ かっ かっ かっ。」

といってやめました。




それからうらめしそうにゴーシュを見て、

「なぜやめたんですか。ぼくらならどんないくじないやつでも、

のどから血が出るまではさけぶんですよ。」といいました。





「なにをなまいきな。こんなばかなまねをいつまでしていられるか。

もう出ていけ。見ろ。夜が明けるんじやないか。」

ゴーシユはまどを指さしました。




東の空がぼうっと銀いろになって、

そこをまっ黒な雲が北の方へどんどん走っています。

「ではお日さまの出るまでどうぞ。もう一ぺん。ちょっとですから。」

かっこうはまた頭をさげました。




「だまれっ。いい気になって。このばか鳥め。

出ていかんとむしって朝めしに食ってしまうぞ。」

ゴーシュはどんとゆかをふみました。

するとかっこうはにわかにびっくりしたように、

いきなりまどをめがけてとびたちました。

そしてガラスにはげしく頭をぶっつけて、ばたっと下へ落ちました。

 「なんだ、ガラスへ、ばかだなあ。」




ゴーシュはあわてて立って、まどをあけようとしましたが、

がんらいこのまどは、

そんなにいつでもするするあくまどではありませんでした。

ゴーシュがまどのわくをしきりにがたがたしているうちに、

またかっこうがばっとぶっつかって下へ落ちました。




見るとくちばしのつけねからすこし血が出ています。

「今あけてやるから待っていろったら。」




ゴーシュがやっと二寸ばかりまどをあけたとき、

かっこうは起きあがって、なにがなんでもこんどこそというように、

じっとまどの向こうの東の空をみつめて、

あらんかぎりの力をこめたふうで、ばっととびたちました。




もちろん、こんどは前よりひどくガラスにつきあたって、

かっこうは下へ落ちたまま、しばらく身動きもしませんでした。

つかまえてドアからとばしてやろうと、

ゴーシュが手を出しましたら、

いきなりかっこうは目をひらいてとびのきました。


そしてまたガラスへとびつきそうにするのです。

ゴーシュは思わず足を上げて、まどをばっとけりました。




ガラスは二、三まい、ものすごい音してくだけ、

まどはわくのまま外へ落ちました。

そのがらんとなったまどのあとを、

かっこうが矢のように外へとびだしました。




そして、もうどこまでもどこまでもまっすぐにとんでいって、

とうとう見えなくなってしまいました。




ゴーシュは、しばらくあきれたように外を見ていましたが、

そのままたおれるようにへやのすみへころがって、

ねむってしまいました。


 
 




つぎのばんも、ゴーシュは夜中すぎまでセロをひいて、

つかれて水を一ばいのんでいますと、

また扉をこつこつたたくものがあります。




今夜はなにが来ても、ゆうべのかっこうのように、

はじめからおどかして迫いはらってやろうと思って、

コップをもったまま待ちかまえておりますと、

扉がすこしあいて、一ぴきのたぬきの子がはいってきました。



ゴーシュはそこでその扉をもうすこし広くひらいておいて、どんと足をふんで、

「こら、たぬき、おまえはたぬきじるということを知っているかっ。」とどなりました。

するとたぬきの子はぼんやりした顔をして、きちんとゆかへすわったまま、

どうもわからないというように首をまげて考えていましたが、しばらくたって、

「たぬきじるってぽく知らない。」といいました。




ゴーシュはその顔を見て、思わずふきだそうとしましたが、

まだむりにこわい顔をして、

「では教えてやろう。たぬきじるというのはな。

おまえのようなたぬきをな、キャベジや塩とまぜてくたくたとにて、

おれさまの食うようにしたものだ。」といいました。




するとたぬきの子はまたふしぎそうに、

「だってぼくのおとうさんがね、ゴーシュさんはとてもいい人で、

こわくないから行ってならえといったよ。」といいました。

そこでゴーシュもとうとうわらいだしてしまいました。

「なにをならえといったんだ。おれはいそがしいんじゃないか。

それにねむいんだよ。」



たぬきの子はにわかにいきおいがついたように一足前へ出ました。

「ぼくは小だいこのかかりでねえ。セロへ合わせてらってこいといわれたんだ。」

「どこにも小だいこがないじゃないか。」

「そら、これ。」

たぬきの子はせなかからぼうきれを二本出しました。

「それでどうするんだ。」

「ではね、『ゆかいな馬車屋』をひいてください。」

「なんだ、『ゆかいな馬車屋』ってジャズか。」

「ああ、この譜だよ。」

たぬきの子はせなからまた一まいの譜をとりだしました。

ゴーシュは手にとってわらいだしました。




「ふう、へんな曲だなあ。よし、さあひくぞ。おまえは小だいこをたたくのか。」

ゴーシュはたぬきの子がどうするのかと思って

ちらちちらそっちを見ながらひきはじめました。

するとたぬきの子はぼうをもってセロのこまの下のところを、

ひょうしをとってぽんぽんたたきはじめました。

それがなかなかうまいので、

ひいているうちにゴーシュはこれはおもしろいぞと思いました。

おしまいまでひいてしまうと、たぬきの子はしばらく首をまげて考えました。



それからやっと考えついたというようにいいました。





「ゴーシュさんは、この二ばんめの糸をひくときはきたいにおくれるねぇ。

なんだかぼくがつまずくようになるよ。」




ゴーシュははっとしました。


 

たしかにその糸はどんなに手早くひいても、

すこしたってからでないと音が出ないような気が、ゆうべからしていたのでした。

「いや、そうかもしれない。このセロはわるいんだよ。」

とゴーシュはかなしそうにいいました。

するとたぬきはきのどくそうにして、またしばらく考えていましたが、

「どこがわるいんだろうなあ。ではもう一ぺんひいてくれますか。」

「いいともひくよ。」




ゴーシュははじめました。たぬきの子はさっきのようにとんとんたたきながら、

ときどき頭をまげてセロに耳をつけるようにしました。

そしておしまいまできたときは、

今夜もまた東がぼうと明るくなっていました。





「ああ夜が明けたぞ。どうもありがとう。

たぬきの子はたいへんあわてて、

譜やばうきれをせなかへしょってゴムテープでぱちんととめて、

おじぎを二つ三つすると、急いで外へ出ていってしまいました。




ゴーシュはぽんやりして、

しばらくゆうべのこわれたガラスからはいってくる風をすっていましたが、

町へ出ていくまでねむって元気をとりもどそうと、

急いでねどこへもぐりこみました。
 


 


つぎのばんも、ゴーシュは夜どおしセロをひいて、

明け方ちかく思わずつかれて、

楽譜をもったままうとうとしていますと、

まただれか扉をこつこつとたたくものがあります。

それもまるで聞こえるか聞こえないかのくらいでしたが、

毎ばんのことなのでゴーシュはすぐ聞きつけて、

「おはいり。」といいました。

 



すると戸のすきまからはいってきたのは一ぴきの野ねずみでした。

そしてたいへん小さなこどもをつれて、

ちょろちょろとゴーシュの前へ歩いてきました。

そのまた野ねずみのこどもときたら、

まるでけしごむのくらいしかないので、ゴーシュは思わずわらいました。


すると野ねずみは、なにをわらわれたろうというようにきょろきょろしながら、

青い栗のみを一つぶ前において、ちゃんとおじぎをしていいました。

「先生、この子があんばいがわるくて死にそうでございます。

先生、どうぞおじひになおしてやってくださいまし。」

「おれがいしゃなどやれるもんか。」




ゴーシュはすこしむっとしていいました。




するとのねずみのおかあさんは下を向いて、

しばらくだまっていましたが、また思いきったようにいいました。

「先生、それはうそでございます。

先生は毎日あんなにじょうずに、

みんなの病気をなおしておいでになるではありませんか。」

 


「なんのことだかわからんね。」

「だって先生、先生のおかげで、

うさぎさんのおばあさんもなおりましたし、

あんないじわるのみみずくまでなおしていただいたのに、

この子ばかりお助けをいただけないとは、

あんまりなさけないことでございます。」

「おいおい、それはなにかのまちがいだよ。



おれはみみずくの病気なんどなおしてやったことはないからな。


もっともたぬきの子はゆうべ来て楽隊のまねをしていったがね。ははん。」

 

ゴーシュはあきれてその子ねずみを見おろしてわらいました。

すると野ねずみのおかあさんはなきだしてしまいました。




「ああ、この子はどうせ病気になるならもっと早くなればよかった。

「さっきまであれくらいごうごうと鳴らしておいでになったのに、

病気になるといっしょにぴたっと音がとまって、

もうあとはいくらおねがいしても鳴らしてくださらないなんて。

なんてふしあわせなこどもだろう。」


「なんだと、ぼくがセロをひけば、

みみずくやうさぎの病気がなおると。どういうわけだ。それは。」




野ねずみは目をかた手でこすりこすりいいました。

「はい、ここらのものは病気になると、

みんな先生のおうちのゆか下にはいってなおすのでございます。」

「するとなおるのか。」


「はい。からだじゅうとても血のまわりがよくなって、たいへんいい気持ちで、

すぐになおる方もあればうちへ帰ってからなおる方もあります。」




「ああそうか。おれのセロの音がごうごうひびくと、

それがあんまのかわりになって、

おまえたちの病気がなおるというのか。

よし。わかったよ。やってやろう。」


ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合わせて、

それからいきなリ野ねずみのこどもをつまんで、

セロのあなから中へ入れてしまいました。


「わたしもいっしょについて行きます。どこの病院でもそうですから。」

おっかさんの野ねずみはきちがいのようになって、セロにとびつきました。

「おまえさんもはいるかね。」



セロひきは、おっかさんの野ねずみをセロのあなか、

わくぐらしてやろうとしましたが、

顔がはんぶんしかはいりませんでした。


野ねずみはばたばたしながら中のこどもにさけびました。



「おまえ、そこはいいかい。

落ちるときいつも教えるように足をそろえてうまく落ちたかい。」

「いい。うまく落ちた。」


こどものねずみはまるでかのような小さな声で、

セロの底で返事しました。

「だいしょうぶさ。だからなき声出すなというんだ。」




ゴーシュはおっかさんのねずみを下におろして、それから弓をとって、

なんとかラブソディとかいうものを、ごうごうがあがあひきました。

するとおっかさんのねずみは、

いかにも心配そうにその音のぐあいを聞いていましたが、

とうとうこらえきれなくなったふうで、

「もうたくさんです。どうか出してやってください。」といいました。





「なあんだ、これでいいのか。」

ゴーシュはセロをまげて、あなのところに手をあてて待っていましたら、

まもなくこどものねずみが出てきました。

ゴーシュはだまってそれをおろしてやりました。

 見るとすっかリ目をつぶって、ぶるぶるぶるぶるふるえていました。




「どうだったの。いいかい。気分は。」

こどものねずみはすこしも返事もしないで、まだしばらく目をつぶったまま、

ぶるぶるぶるぶるふるえていましたが、

にわかに起きあがって走り出しました。

「ああ、よくなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」





おっかさんのねずみもいっしょに走っていましたが、

まもなくゴーシュの前に来て、しきりにおじぎをしながら、

「ありがとうございます、ありがとうございます」と十ばかりいいました。



ゴーシュはなんだかかわいそうになって、

「おい、おまえたちはパンはたべるのか」とききました。



すると野ねずみはびっくりしたようにきょろきょろあたりを見まわしてから、

「いえ、もうおパンというものは、

小麦の粉をこねたりおしたりしてこしらえたもので、

ふくふくふくらんでいて、おいしいものなそうでございますが、

そうでなくてもわたしどもは、

おうちの戸だなへなどまいったこともございませんし、

ましてこれくらいお世話になりながら、

どうしてそれを運びになんどまいれましょう。」といいました。



「いや、そのことではないんだ。

ただたべるのかときいたんだ。ではたべるんだな。ちょっと待てよ。

その腹のわるいこどもへやるからな。」

ゴーシュはセロをゆかへおいて、

戸だなからパンを一つまみむしって、野ねずみの前へおきました。




野ねずみほもうまるでばかのようになって、

ないたりわらったりおじぎをしたりしてから、

だいじそうにそれをくわえてこどもをさきにたて、外へ出ていきました。



「あああ。ねずみと話するのもなかなかつかれるぞ。」

ゴーシュはねどこへどっかりたおれて、すぐぐうぐうねむってしまいました。
 


 
     
それから六日めのばんでした。

 

 




金星音楽団の人たちは、町の公会堂のホールのうらにあるひかえ室へ、

みんなぱっと顔をほてらして、めいめい楽器をもって、

ぞろぞろホールの舞台からひきあげてきました。

しゅびよく第六交響曲をしあげたのです。

ホールでは、はく手の音がまだあらしのように鳴っております。





楽長はポケットへ手をつっこんで、はく手なんかどうでもいいというように、

のそのそみんなの間を歩きまわっていましたが、

じつはどうして、うれしさでいっぱいなのでした。

みんなはたばこをくわえてマッチをすったり、

楽器をケースへ入れたりしました。

ホールはまだパチパチ手が鳴っています。

それどころではなく、いよいよ手がつけられないような音になりました。



大きな白いリボンをむねにつけて、司会者がはいってきました。


「アンコールをやっていますが、なにかみじかいものでも聞かせてくださいませんか。」

すると楽長がきっとなってこたえました。

「いけませんな。こういう大物のあとへなにを出したって、

こっちの気のすむようにはいくもんでないんです。」

「では楽長さん、出てちょっとあいさつしてください。」

「だめだ。おい、ゴーシュ君、なにか出てひいてやってくれ。」

「わたしがですか。」

ゴーシュはあっけにとられました。

「きみだ、きみだ。」

バイオリンの一ばんの人がいきなり顔をあげていいました。

「さあ出ていきたまえ。」

楽長がいいました。
 
 

 



みんなも、セロをむりにゴーシュに持たせて扉をあけると、

いきなり舞台へゴーシュをおし出してしまいました。

ゴーシュがそのあなのあいたセロをもって、

じつにこまってしまって舞台へ出ると、みんなはそらみろというように、

いっそうひどく手をたたきました。

わあとさけんだものもあるようでした。

「どこまで人をばかにするんだ。よしみていろ。『インドのとらがり』をひいてやるから。」

ゴーシュはすっかりおちついて舞台のまん中へ出ました。

それから、あのねこの来たときのように、

まるでおこったぞうのようないきおいでとらがりをひきました。

ところがちょうしゅうはしいんとなって、いっしょうけんめい聞いています。





ゴーシュはどんどんひきました。

ねこが切ながってぱちばち火花を出したところもすぎました。


扉へからだをなんべんもぶっつけたところもすぎました。

曲か終わると、ゴーシュはもうみんなのほうなどは見もせず、

ちょうどそのねこのようにすばやくセロをもって楽屋へにげこみました。





すると楽屋では楽長はじめなかまが、みんな火事にでもあったあとのように、

目をじっとしてひっそりとすわりこんでいます。

ゴーシュはやぶれかぶれだと思って、みんなの間をさっさと歩いていつて、

向こうの長いすへどっかりとからだをおろして足を組んですわりました。




すると、みんなが一ぺんに頭をこっちへ向けてゴーシュを見ましたが、

やはりまじめで、ベつにわらっているようでもありませんでした。

「今夜はへんなばんだなあ。」




ゴーシュは思いました。ところが楽長は立っていいました。

「ゴーシユ君、よかったぞお。あんな曲だけれども、

ここではみんなかなり本気になって間いてたぞ。






一週間か十日の間にずいぶんしあげたなあ。

十日前とくらべたら、まるで赤んぼうと兵隊だ。

やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、きみ。」

なかまもみんな立ってきて、

「よかったぜ。」とゴーシュにいいました。

「いや、からだがじょうぶだからこんなこともできるよ。

ふつうの人なら死んでしまうからな。」


楽長が向こうでいっていました。
 
 
そのばんおそく、ゴーシュはじぶんのうちへ帰ってきました。

そしてまた水をがぶがぶのみました。






それからまどをあけて、

いつかかっこうのとんでいった遠くの空をながめながら、

「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。

おれはおこったんじゃなかったんだ。」

といいました。



 

 

 

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